曲目

弱法師(よろぼし)

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Yoroboshi

ストーリー

河内高安の左衛門尉通俊(ワキ)は人の讒言により一子俊徳丸(シテ)を勘当してしまうが、今は後悔して天王寺にて施行を行う。今日はその満参の日なので従者(アイ)に最後の施行を行う旨を触れさせる。そこへ人の群れの中から盲目の乞食が杖を突きながら現れる。

彼はよろよろとよろめき歩くので弱法師とあだ名されていたのであった。彼は袖に施しを受けながら偶然袖に入った梅の花びらも施行で草木も皆仏の慈悲の施しであると言う。そして聖徳太子が天王寺を建立した謂われを語る。通俊がその様子をよくよく見ると勘当した俊徳丸であった。

人目もあり夜になってから連れて帰ろうと思い、入り日なので日想観を勧める。彼は日想観とは心眼で観るものであるといい、盲目なるが故に見える辺りの景色を見ながら舞い謡う。しかしさすがに盲目なので群衆に突き当たって笑われてしまう。日も沈み夜になったので通俊が父であることを明かすと俊徳丸は恥ずかしがって逃げ出すが父は手を取り高安へ帰って行く。

解 説

この能はいわゆる狂乱物というジャンルですが、他の狂女物のように自分があるものに執着して(子を失う、恋に狂うなど)彷徨うなどとは違いとても面白い筋立てになっています。盲目でありながらも天王寺縁起と彼岸の中日での親子の再会や梅の花を絡ませあまり悲観さを感じさせない風流豊かな春らしい能に仕立ててあります。。

人の讒言により息子俊徳丸追い出してしまった父(ワキ)であったが、さすがに心にかかって天王寺にて施行を行う。その満参の日に盲目の少年(シテ)と出会う。その盲目の少年は「弱法師」とあだ名されていた。少年は悲観の為に盲目になったらしい。

しかし少年の心の目に思い描く世界観は目が見える人よりも数倍美しく華やかに広がるものがあり、それがこの曲の眼目であるのではないかと思います。色々話しているうちに父は息子である事が判りますが人目を気にして夜まで待ってから名乗ろうと思います。(この辺が父通俊のシャイというかいけない性格?)夜になり親子と判り少年は父を責めるどころか自分の姿を恥ずかしがって逃げ出しますが、手を取り合い故郷に帰ります。

最近昔の台本には弱法師には妻がいたということで試験的に何度か上演されていますが、現作の盲目で孤独の弱法師が描く素晴らしい世界観というものが少しスポイルされてしまう様な気がします。

シテ主導権主義で淘汰されてツレが無くなってたまたまそのような効果が現れたのかもしれませんが(失礼!いやいや完全に計算ずくなのか)個人的には原作より現作のほうが優れているのではないかと思いました。そういう原作がどうして今のように変化していったか改めて観ると、結構考えさせられます。研究なさっている方々のご苦労に感謝いたします。

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