曲目

雷電(らいでん)

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Raiden

ストーリー

初秋の秋の夜、比叡山にて法性坊僧正(ワキ)は天下泰平のために護摩を焚く満願の日に、中門の扉を叩く管丞相道真(前シテ)の姿がある。九州で死んだはずの姿に驚きながらも招き入れると菅丞相は師弟であった昔を懐かしみ感謝するが、これから雷神となって朝廷に報復するので朝廷より依頼があっても絶対に行かないように頼みこむ。

しかし僧正は「三度依頼があれば断れない」と答えると豹変し、仏前のザクロをかみ砕き炎を吹きかけ姿を消す(中入り)朝廷では天変地異や悪事が続くので僧正が祈祷していると、雷神(後シテ)が現れ雷を落とし暴れるが恩師である僧正の所へは雷を落とせず、師弟の闘争の末に朝廷より「天満大自在天神」の贈官を得ると黒雲に乗って姿を消す。

解 説

憤怒のあまりに雷神となった菅丞相も師匠には悪事を働かすことが出来ない一面や、一畳台二つを対面に置き、清涼殿や紫宸殿に見立てる舞台設定も面白いです。また彼の人生や「天神様」の背景も興味深くちょっとまとめてみましたので参考まで記述してみます。祖父と父はともに文章博士(もんじょうはかせ)を務めた学者の家系であり、母方の伴氏は、大伴家持らの高名な歌人を輩出している。

醍醐天皇の治世でも道真は昇進を続けるが、藤原氏などの有力貴族の反発が表面化するようになった。そして斉世親王を皇位に就け醍醐天皇から簒奪を謀ったと讒言され大宰府に左遷される。宇多上皇はこれを聞き醍醐天皇に面会してとりなそうとしたが、醍醐天皇は面会しなかった。

子供4人も流刑に処された。道真はその大宰府で没し同地に葬られた(現在の太宰府天満宮)。道真が京の都を去る時に詠んだ「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」は有名。その梅が、京の都から一晩にして道真の住む屋敷の庭へ飛んできたという「飛び梅伝説」も有名である。

菅原道真の死後、京には異変が相次ぎ、醍醐天皇の皇子が次々に病死した。さらに清涼殿が落雷を受け、朝廷に多くの死傷者が出た。これらが道真の祟りだと恐れた朝廷は、道真の罪を赦すと共に贈位を行った。子供たちも流罪を解かれ、京に呼び返された。その清涼殿落雷の事件から道真の怨霊は雷神と結びつけられた。

火雷天神が祭られていた京都の北野に北野天満宮を建立して道真の祟りを鎮めようとした。以降、百年ほど大災害が起きるたびに道真の祟りとして恐れられた。こうして、「天神様」として信仰する天神信仰が全国に広まることになる。やがて、各地に祀られた祟り封じの「天神様」は、災害の記憶が風化するに従い道真が生前優れた学者・詩人であったことから、後に天神は学問の神として信仰されるようになっている。

今や学問の神様だが当時の普通の貴族であり、妾もいれば、遊女遊びもしている。とりわけ在原業平とは親交が深くよくも悪くも遊んでいたようである。大阪市東淀川区にある「淡路」「菅原」の地名は、道真が大宰府に左遷される際、当時淀川下流の中洲だったこの地を淡路島と勘違いして上陸したというちょっとおとぼけな故事にちなんだ地名である。

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