曲目

屋島(やしま)

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Yashima

ストーリー

「平家物語」を原本として、元暦二年(1185年)二月の讃岐国屋島の源平合戦を描いた能。作者世阿弥も、修羅能の中でも徳に満足できる曲であると「申楽談義」の中で述べています。旅の僧が屋島の浦へ着く頃、日暮れ時となったので、浜辺の塩屋に宿を求めます。

僧は主の老漁夫より屋島での源平の戦いぶりを次々と聞かされるのでした。義経の勇ましい武者振り、景清と三保谷の錣(しころ)引き、義経の身代わりになった佐藤継信の戦死…。語り終わった漁夫は夜明けとともに消え失せてしまいました。そこへ本当の塩屋の主が戻り、先ほどの漁夫は義経の霊であろうと告げます。

その夜、甲冑姿の義経の霊が僧の前に現れ、再び屋島の激戦を語ります。義経の最後は屋島だったっけ?奥州だったよね…?

解 説

この能は「勝修羅三番」(田村、箙、屋島)の一つで(能は「○○三番」っていうのが好きです)、僕自身とても好きな曲です。前段の老人の姿を借り、昔を懐かしみつつも源平の戦いの気迫がこもった仕方話、後段の武将姿での力強い弓流しの話と、構成にスキが無く、観るのも聞くのも面白い人気曲です。

また、普通幽霊や複式夢幻能は、死んだ人が死んだ場所や世話になった人の前に出てくるのが常なのですが、この曲は物語の舞台を、天才的でありながら悲運の武将である義経の最後(死ぬところ)ではなく、一番輝いていた一の谷、屋島、壇ノ浦での源氏奇跡三連勝の場所にしているところも特徴です。(本人の心が一番残っているだろうし、勝修羅ものだからかな)

これは僕の勝手な推測なので、解説からちょっと脱線しますけれど、やっぱり義経は奥州平泉で討たれてはいないんじゃないかなあと思ったりしています。少しバカバカしいですが、そう、あの「ジンギスカン伝説」です(笑わないでくださいね)。

討たれてから鎌倉に「首」が到着するまでの遅さ、平泉から青森にかけて義経にまつわる史跡、大陸へ渡った「ささりんどうの紋」、両者の共通点etc…。静御前の歌「しずやしず 賎のおだまき繰り返し 昔を今になす由もがな」の「なすよしもがな」=「成吉思汗」か…?(それを作者は知っていたから、場所の設定を変えた?いくらなんでもこれはこじつけか?)なんかそういうのがあってもいいと思います。

だって、源平合戦後の義経の落ちぶれ方といったらあまりにも可哀想で可哀想で…。などと勝手にいろいろ考えてしまいます。

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