曲目

安宅(あたか)

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Ataka

ストーリー

平家一門を滅ぼす功績を上げながらも梶原氏の讒言により兄の頼朝より追われる立場となった義経一行十二人(子方義経、シテ弁慶、ツレ山伏九人、狂言山伏)は山伏姿に身を窶し、奥州藤原氏を頼りに下ろうとしています。頼朝は諸国に関所を設け山伏達を捕らえていました。

北陸道加賀の国安宅にはその地の大名富樫(ワキ)が関所を守っています。落ち行く所に作られた関所を、あるものはこの状況に憤慨し突破する事を叫びますが、弁慶は「この関所だけではないのだから・・・」と主君に重荷を持たせ最後尾につければ大丈夫であろうと考えます。

しかし当然の事ながら「山伏専用」の関所ですから止められてしまいます。弁慶(シテ)は焼けてしまった東大寺再建の為の本物の山伏の一行だと言いますが信じてもらえず、信じてもらえないのならここで最後の勤行を始め山伏を殺せば天罰が下ると威嚇しながら行います。

関守は本物の勧進の山伏一行なら「勧進帳」があるはずだからここで読めと言われ、持ち合わせた白紙の巻物を勧進帳と偽り読み上げます。(ここでは富樫が偽りかを確かめようと巻物を見ようとしますが、弁慶は見せないよう隠しながら読み上げます)一度は通行を許されますが、義経に似ていると見破られ止められてしまいます。

弁慶は咄嗟の機転で「少しの荷物ぐらいで足が遅いから疑われるのだ」と怒りにまかせて金剛杖にて激しく殴打します。なおも咎める関守に今度は山伏の笈を盗もうとするのかと刀を抜きかけ詰め寄ります。そして力任せに渋々通行を許させます。なんとか関所を突破出来、一行は人のいないところで身も心も疲れ果て休息します。

弁慶は先程の無礼を詫びますが義経は弁慶の機転とこれも天の加護によるものだと許し、我が身の不運を嘆きます。そこへ先程の富樫が詫びにと酒を持ってきます。しかしこれも罠かと疑いつつも酒宴を始め、山伏達にも隙を見せるなとたしなめ舞を見せます。

特殊演出「滝流」ではこの舞の途中に橋掛かりへ行き、「我々の窮地に立たされ不運困難な状況とこの溢れるばかりの生命力逞しい滝の流れのギャップは何なんだ!この滝の流れのような清く強い心を我々に!こんな事で負けてはいられない!」と滝を見上げる型をします。

舞を切り上げると関守に別れを告げ、まさに「虎の尾を踏み、毒蛇の口を逃れたる心地して」と陸奥の国へと下っていきます。

解 説

能「安宅」は[義経記]の義経一行の奥州へ落ち行く所を取り上げた作品ですが、この曲の最大の見所は関所にての弁慶と関守富樫との息もつかせぬ対決です。

気迫迫る最後の勤行、咄嗟の空言での勧進帳の朗読、主君への殴打、盗人だと凄み刀を抜きかけての押し合い、豪壮な「男舞」と展開が凄まじく変化します。中でも「勧進帳」は謡の中でも秘伝中の秘伝で鼓との複雑で巧妙な「間」の取り合いで「鼓との戦い」でもあります。

歌舞伎の「勧進帳」はこの能を基に作られた作品ですが、歌舞伎では義経の「悲運」と「武士の情け」というものにスポットをあて、関守富樫が義経一行と知りつつ通行を許すという事になっており、また弁慶もその情けに感謝しつつ関所を後にするといったものです。

また登場人物も他の能では極端に人数を省略して演ずるのが多いのに「安宅」では家臣十二人の「作り山伏」が舞台一杯に広がり迫力を増しています。対する歌舞伎では四人しか登場せず、舞も酒を飲み酒宴の席での舞踊的な要素が強調されているところが特徴的です。能は酌をされた杯も飲まずに捨て、舞の途中も富樫に隙を見せない終始気の緩みのない舞台が繰り広げられます。

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