殺生石(せっしょうせき)
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能楽師 梅若基徳
Tkasago
ストーリー
阿蘇から旅に出た神主が、旅の途中の高砂で松の下を掃き清めている老夫婦に出会います。当地の「相生の松」の由来を訊きますと、所を隔てていても深い契りで結ばれている夫婦の松のことを言うのだと答えます。
妻は高砂に、夫は住吉に住むというこの老夫婦は小船に乗って住吉へと立ちます。神主も後を追って住吉へ急ぎますと、住吉明神が現れて神舞を爽快に舞って見せます。天下泰平を寿ぐめでたい能。
解 説
この曲は今更ストーリーの説明など必要ないと思いますが、簡単に説明させていただきます。この能は神を主人公とし、天皇の治める世を聖代として祝福するというのがテーマです。「高砂」は能の中でも《真の神能》といわれる最も本格的な神能であり、祝言曲らしい能です。
『古今集』の「誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに」と「われ見ても久しくなりぬ住吉の岸の姫松いく世へぬらむ」の二首の和歌を踏まえ、同書の仮名序《高砂、住吉の松も相生のように覚え》というところを、構想の中心として作られた作品です。
前場は都見物の途中、高砂に立ち寄った阿蘇の神主の前に、高砂と住吉の松の精が老夫婦として現れます。そして長寿と和歌の徳、たとえ播州高砂と津の国住吉と離れていても夫婦の変わらぬ愛情をたたえ、松のめでたさを説き、住吉にて待つと言い残し消え失せます。
神主も後から新しく作った舟で住吉に着くと住吉明神が現れ、舞を颯爽と舞い、千秋万歳を祝います。
小書「八段之舞」がつきますと前半に常には出ない青竹の枠で作られた松の作物が出ます。また後は面が通常の「邯鄲男」から力強い面の「三日月」や「神体」などに変わり、舞がとても緩急のある「八段之舞」になります。