曲目

百萬(ひゃくまん)

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Hyakuman

ストーリー

数の単位じゃなく、人の名前です。

観阿弥作「嵯峨物狂」を子の世阿弥が改作した曲。嵯峨の釈迦堂の大念仏に、奈良西大寺近くで拾った子供を連れた男がやって来て、念仏の音頭を見物します。そこでは百万という名の女が子供と生き別れになった悲しみで物狂いとなっていました。我が子への思いを仏心に頼り法楽の舞いを舞う百萬。

その身の上語りから、男が連れていた子供こそが探し求めていた我が子であることがわかり、母子は再会を喜び合い、奈良へと帰って行きます。車之段、笹之段、舞クセ、立回りとみどころが多く、春の浮き立つ風情が美しく描かれた能です。

解 説

この能は生き別れになった子供を探すために群衆の前で舞い、人々の注目を集めている点が他の「狂女物」とは違うところで、一歩離れて楽しみながら舞っているといった方がよいように思われます。もちろん母の悲しみもありますが、最後には親子再会のハッピーエンドです。

しかし、この曲に限らず「木賊」とかもそうなんですけど、子方が「自分の親みたいだが、知らないふりをしてくれ」と言うのはなぜなんだろうと思います。だってひどいじゃない?一生懸命子供のことを思って探しているのに…ねエ。また、この曲は鎌倉時代の実在の人物をモチーフに作った能であったようです。

実在の芸能者であったらしくまさに芸尽くしで舞い演じます。笹を持っていることで神に憑かれトランス状態(物狂い)であることを表しています。

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