藤戸(ふじと)
Fujito
ストーリー
どんな華々しい功績の陰にも必ず犠牲になった人がいますよね。
源氏軍の佐々木盛綱(ワキ)は従者(ワキツレ)とともに藤戸の戦いの恩賞に賜った備前の国の児島に新領主として領地入りし、訴訟あるものは申し出でよと触れる。そこへ年老いた女(前シテ)が涙を流しながら訴え出てきた。我が子を盛綱に殺されたというのだ。
盛綱は一度は否定したが、その時の有様を語って聞かせると母は盛綱に迫り、いっそ自分を殺すか我が子を返せと詰め寄る。盛綱は亡者を供養することを約束し母を帰す(中入)盛綱が弔っていると殺された浦の男(後シテ)が現れ、浅瀬を教えたものは殺され教えられたものは領主となったそれは海を馬で渡る事より理不尽な事だと訴え、殺されたときの様子を語り、恨もうと思ったが思いがけない供養により成仏できると去っていく。
解 説
この能は「平家物語」を題材にしていますが、「平家物語」では盛綱の武勇伝として書かれているだけで、死んだ者の母などは登場しません。しかし、この能の作者はとても上手く前段を作って、すばらしい能にしています。母が必死で息子の死を訴えるその場でも、盛綱はあまり悪びれることなく、その時の様子を武勇伝として語って聞かせます。
母としてこれほど辛いことはないんだろうなあといつも思います。「亡き子と同じ道になして」というところで母が盛綱にたまらず走り寄るところがありますが、そこは盛綱の刀を取って相手を殺し、自分も自害しようとするところだろうと、以前先輩方に教えていただきました。
母はすごし!後段は殺された本人が出てきますが、母ほど訴えることなく成仏してしまうのはなぜなんだ?と思ってしまいます。しかも、能ではいつものことながら、自分が殺された場面を事細かに演じます。「氷の如くなる刀を抜いて胸の辺りを刺し通し」うーん、痛そう。悲しすぎます。
この能は封建社会における支配者への庶民の決死の訴えの無力さや悲しさを現しているのではないでしょうか。