曲目

田村(たむら)

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Tamura

ストーリー

櫻の花が真っ盛りの頃、東国の僧(ワキ)が都見物に京都へやってきます。清水寺で景色を眺めていると、一人の童子(シテ)に遭います。童子は美しい箒を持って庭を掃き清めていたので、僧は寺の来歴をたずねます。童子が語るには「この寺は大同二年の創設であり、昔大和の国・子島寺の沙門・賢心が木津川の川上から金色の光がさしているので溯ってみたところ、行叡居士と言う観音の化身に出会い、その教えに従って坂上田村麻呂の力で建立された」とのことでした。

また、清水寺より見える周りの名所の数々をも僧に教えていると、折しも鐘の音が聞こえ、音羽山から月も出て来ました。清い月の光の下、花の美しさと香り風情を楽しむ僧と童子でしたが、童子は「私の行く方を見ていて下さい」と言い残し、田村堂の内陣へと姿を消しました。

僧が法華経を読経しながら待っていると、坂上田村麻呂(後シテ)が武将姿で現れ、勅命により鈴鹿山の反逆者征伐のため軍兵を指揮して行く途中、石山寺にて拝礼し、意気盛んに伊勢路に入った時、安濃の松原で数千騎の敵に遭遇してしまったが、千手観音が現れ千の手で矢を放たれたので敵に勝つことができたことを語り、また消えていきます。

解 説

この能は「屋島」「箙」とともに「三勝修羅」と言われるものです。

中でも「田村」は他の多くの修羅物が源平合戦時代を題材としているものが大半の中、もっと前の時代の物語で「征夷大将軍」として活躍し、観世音菩薩の加護によって勝利を治めるといったもので修羅物というより、少し初番目っぽい「祝言物」としての意味合いもこの曲にはあるような気がします。

前段の春の清水寺、京都の華やかな名所教えと後段の坂上田村麿の勇ましさの対比がこの曲の魅力を一層引き立てているのではないかと思います。

<替装束>になると「天神」という面に「唐冠」「黒頭」をつけ、剣を背中に背負い、「屋島」「箙」などの武将というより太古の「力神」といった雰囲気が強調される演出になってきます。<長胡床>はキリまで床机にかかったまま型をする演出です。

征夷大将軍という位が後に徳川家康に与えられる経緯は皆様もよくご存じのことでしょう。

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