曲目

清経(きよつね)

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Kiyotsune

ストーリー

平清経(シテ)は筑紫の戦に敗れ、すべての望みを無くし柳ヶ浦の沖にて入水自殺してしまった。家臣の淡津三郎(ワキ)は清経の遺髪を持ち、都にて清経の帰りを心待ちにする妻(ツレ)に清経が入水した様を語り遺髪を渡す。妻はその事実を聞き、泣き崩れ恨むが夢にでも逢いたいと思い床につきます。

すると清経の霊(シテ)が夢中に現れ、妻に遺髪を元の社に返す事への不実を訴え、妻は戦死か病死ならまだしも自害した事への恨みを述べ互いに思いをぶつけ合う。

やがて清経は最後の様を語り出し、かつて平家の栄華と今は白鷺の群さえ源氏の旗に見えてしまう不安な精神状態、神にも見放され死を決意して舟板に立ち笛を吹き「この世も旅」と入る月に念仏し、入水自殺する様を仕方話に語る。やがて修羅道の苦しみが彼を襲うが最後の念仏のお陰で成仏することが出来たのであった。

解 説

この能は常の能ではなんらかのメッセージがあるシテがワキの前(大抵が僧の夢の中)にでるのではなく、ツレ(妻)の夢の中に立つところが少し異色であり、とてもリアリティがあると思います。

清経は自分自身と平家一門の行く末に絶望を感じて入水自殺します。

残された妻は当然その事実を許せるはずもなく、自ら命を絶ったことを責め立てます。夫はその自殺に至った様を仕方話にして妻に語ります。語った後、涙に暮れる間もなく修羅道の苦しさが清経を襲いますが入水前に唱えた念仏の力で成仏する事が出来ます。

しかし、いくら「現世は夢」「悟り」「成仏」と色々言われてもこの世に残された者とあの世に自ら逝った者との隔たりは縮まることはないんだナって考えさせられる能です。

この能は男の身勝手な美学による「理想」と今を生きる女の切実な「現実」と相反した双方の願いが凝縮され、修羅能物だけにとどまらない素晴らしい曲だと思います。

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