現在七面(げんざいしちめん)
Genzaisichimen
ストーリー
甲斐の国身延山にて日蓮上人(ワキ)が法華経を読経していると、いつも花と水を捧げる里女(前シテ)がいるので名を尋ねると成仏を願う一心から通っているのですと答える。
上人は女人の罪業を説き、法華経を聴けば全ての者が成仏できる話や龍女成仏の話を語ると女は喜び、実は自分はこの七面の池に住む蛇身であると明かし、三熱の苦しみを助けてもらった御礼に本当の姿を見せましょうと言うと突然雷鳴風雨になり姿を消します。(中入)
やがて恐ろしい姿の大蛇(後シテ)が現れ上人の高座をぐるぐると巻きつきますが上人が読経を始めると大蛇はたちまち天女の姿となって神楽を舞い、身延山の鎮守となり虚空に上がっていきます。
解 説
この曲は珍しい曲でまたなかなか出ない曲です。型附に明治四三年五月十八日初世万三郎再興入とわざわざ記入があります。別の江戸時代の型附にはありますので、少しの間廃曲になっていたのでしょうか。まず、装束が大変でして後シテの大蛇から天女に変わるところを舞台上でするということです。
すなわち大蛇と天女の面を二面重ねて着け、装束も二人分着込んでいる訳です。他に重ねて着ける曲に「大会」がありますが、元々は「大べし見」のみで上演していたのを近年の工夫で説法の場面で「釈迦」の面を重ねます。
その場合天狗の「大べし見」と「釈迦」の面をセットで作ってある場合が殆どですので目の穴の位置も合わしてあり動きも少ないので具合がまだ良いのですが、(でも厚みのある物を重ねる訳ですので真っ直ぐしか見えませんが・・)この現在七面はそのような物もなく全く前が見えませんし所作も色々あり、(第一女面の小さい目の穴と寄り目の般若では合う訳もありませんし面も傷みます。
傷まないように和紙などを咬ませますが)装束も「大会」は脱がせるだけですが、「現在七面」は天冠を着けたりで手間が入り後見も大変です。当然出ない曲ですから「謡」も馴染みがなくそちらも大変とあまり出ないというのも納得出来ます。果たして今回上手く事が運びますか・・。乞うご期待です。